僅かな蝋燭の明かりに揺れる、薄暗い地下室。そのベッドの上で、エレンは一人膝を抱えていた。腕部分の布地を握り締める指先が、力を込めすぎて白くなっていることにも気づかない。その眼だけを見開いて、ただ闇に沈む室内を睨み付けていた。
 野生の獣のように神経を張りつめたエレンの耳に、小さく階段を下る音が届いた。足音は近付いてくるが、僅かに身体を硬くするだけでそれ以上の反応はしない。足音の主が誰かなんて、考えるまでもなく分かりきっている。
 立てつけが悪いドアが軋む音と共に現れたのは、予想通りの人物だった。

「……酷ぇツラだな」

 つまらなそうに言い捨てたリヴァイは、今日もエレンに一瞥を寄越したきり、ベッド脇の簡素な机に持参した書類を広げた。エレンのベッドに腰掛けそれに目を通すリヴァイを眺めることは、この古城に来て以来のエレンの日課のようなものだった。
 リヴァイは、就寝時刻になるとこの地下室を訪れる。これも監視の一環かと思っていたが、そうでもないらしい。リヴァイはエレンを気にすることなく持ち込んだ仕事をこなし、気まぐれにぽつぽつと言葉を交わしていく。そして1時間ほどで自室へと引き上げる。最初こそ上官と二人きりの空間に緊張したものだが、数日もすれば持ち前の適応性ですっかり慣れてしまっていた。その僅かな会話を楽しみにするようになっていた、のに。

 持参したランプに翳しながらリヴァイが読み進めているそれは、中央や憲兵団からの書類だ。横目で眺めたことしかないが、その内容がエレンへの疑惑と恐怖で埋められていることは知っていた。現在のエレンの境遇を考えれば、それは仕方ないことだと思っていたし、気にはしていなかった。
 でも、今夜は、エレンを化け物だと糾弾するそれを手にして現れたリヴァイを詰りたい衝動を抱いてしまった。もちろん、抱くだけでそんなことは出来はしない。それでも、向ける視線が非難めいたものになってしまうことは抑えることが出来なかった。

「……思い出しました」

 吐息のように零れたエレンの声に、リヴァイが書類に落としていた視線を上げる。この夜の時間の中で、エレンからリヴァイに話しかけたのは初めてだった。何もないベッドシーツの一点を睨み付けながら、リヴァイが自分の言葉を待ってくれている気配を感じる。
 昼間と違い、強制力を感じさせない静かな視線に促されるように、口を開く。

「この力を知ったとき、嬉しかったんです。これで巨人を殺せる、駆逐できるって」

 目の前の"人類最強"と並ぶほどに圧倒的な力。巨人と同等以上に渡り合える力を得て自分は嬉しくて堪らなかった。したいことをするための力を手に入れたのだと。
 でも。

「でも……ミカサを襲ったって聞いて……怖くなったんです。この力は巨人だけじゃない、人間も殺せる。オレは……あいつらと同じ、化け物になったんだって……そう思ったことを、思い出しました」

 何故忘れていられたのか。それは、ミカサやアルミンだけでなく、104期生の仲間たちがエレンを化け物として扱わなかったからだ。エルヴィンが、そして今目の前にいるリヴァイが、エレンを怖れなかったからだ。だから、忘れてしまっていた。
 意図せず巨人化してしまった昼間、リヴァイ班のメンバーから向けられた怯えと敵意。彼らが悪人でなく、エレン自身を厭うている訳ではないからこそ、それこそが一般的な反応なのだと思い知らされた。

「化け物だから……人間を、殺す…かも、しれない」

 抱えた膝に顔を埋める。彼らを責める気はない。だが、彼らの中でも自分は化け物なのだと突き付けられたことは、思っていた以上にエレンを打ちのめした。いつか、本当に自分は彼らを殺そうとするのかもしれない。しかも、自分でもそれと分からないうちに。

「……くだらねぇ」 

 エレンの精神をぎりぎりまで追いつめている事実を、リヴァイはいとも簡単に切って捨てた。反発から、反射的にリヴァイを睨み付けると、相変わらずその瞳は静かなままで。
 くだらない、という言葉通り、ただ淡々と決まり事を読み上げるかのような口調で続ける。

「お前がどう思っていようと、お前が化け物として人間を殺すことは有り得ねぇ。そうさせないためのメンバーを集めたのが、この班だからな。もしお前が自我を失って人間を襲うようなことがあれば」

 す、と伸びてきた手がエレンに触れる。首の後ろ、うなじ。巨人の弱点。
 そこをそっと辿られて。

「誰かを殺す前に、俺がお前を殺してやる」

 その言葉に。無意識に、エレンの頬を一筋の涙が伝った。
 殺すと言われたのに。仲間として酷い言葉を言われたはずなのに。なのに、酷く安心してしまった。最悪の状況での、最悪の約束。なのに、この人がいるなら大丈夫だと、ここで生きていていいのだと言われた気がした。

 洗ってから返せ、と顔に押し付けられた柔らかな布地からは、石鹸の香りに混じって微かに持ち主の匂いがして、更に涙が溢れる。
 止まらない嗚咽の合間に、そのときは痛くないように一撃でお願いします、とどうにか伝えると、痛みなんて感じる暇やるかよ、と返された。


優しい裏切りをください
(その約束だけが、今のオレには救いなんです)


技量的にもメンタル的にも確実に自分を殺せる兵長の存在は、ある意味最大の安定剤だろうなぁっていう。
兵長は迷わず約束果たして、全部自分で抱えていくんだろうなぁという妄想です。


title by たとえば僕が