そのとき。
 僕が誰もいない筈の部室に行ってみようと思ったのは、別に特別な理由があった訳じゃない。胸が騒いだとか、何故だか行かなきゃならない気がしたとかじゃない。
 だから、つまるところ只の偶然でしかなかった訳なのだけれど。でも、もし、これも運命の一つだったというのなら。

 神様というのは、大概人を困らせることが好きなんじゃないかと思ってしまう。
substitution
 もう部活が終わってから結構時間が経っている。から、もう誰も居ないし鍵も開いていないだろうと思いつつも、職員室ではなく部室の方へと足を向けたのは、単に忘れ物の為だけにそっちまで行くことを厭った結果だった。どうせ、大したものじゃない。閉まっていたら、明日の朝練まで放っておくまでだ。溜息をつきながら歩を進める。
 しかし、視線の先にある部室は、予想外に窓から明かりが漏れていた。幸運に内心喜びつつ、一体誰が、と訝しんでその戸を開く。

 大方手塚か大石だろうと思っていたが、部室には越前が一人で居た。隅のベンチに腰掛け、僕が部室に入ってきたのにも気付かない程、何かを考え込んでいるようだ。
 珍しく外れっぱなしの予想に軽い溜息をついて、放っておけば何時間でもこのままでいそうな彼に声を掛ける。

「越前」

 名前を呼ばれて、越前は弾かれたように顔を上げた。その顔は、さっきまでいなかった僕がいることに対する驚きで満ちていて。それが過ぎた後に、彼らしい拗ねたような表情になったのだけれど、……心なしか、沈んでいるように見える。
 珍しいことだらけだ、と心の中だけで呟き、彼の隣に腰を下ろし、話しかける。ちょっと落ち込んでいるだけの後輩を気に掛けるなんて自分らしくもない、と思いはしたけれど、こういったことも『先輩』としてたまには良いだろう。

「……どうしたの? こんなところで座り込んで。何か悩み事?」
「不二先輩……」

 逸らされる目線。
 彼は、何か続けようとして口を開いたが ―――

「……いえ、何でもないっスから」

 少しの間の後に発せられた言葉はこれだけだった。
 手強そうだ、と気付かれない程度の溜息をつく。だが、そんなものは全く感じさせないよう、軽い調子のまま話しかける。今、彼に『心配』なんてものを見せたら、無理に強がってしまいそうな気がした。

「へぇ? じゃあ何を落ち込んでいるの?」
「……先輩には関係ないことスよ」

 返ってくるのはそっけない答え。こんな態度をとられても、まだ彼に構おうとしている自分が何となく信じられない。エージあたりが見たら大騒ぎするんじゃないだろうか。
僕の中でだって、もういいか、という声はしている。でも、それでも何故か立ち去ろうという気にならない。
 不思議な、感覚。

「ナルホド。でもね」

 そこで言葉を切り、ぐいっと越前を引き寄せる。
 あくまで、おふざけの延長のような、軽い抱擁。僕の肩にある頭にポン、と手を置いて続ける。

「僕は越前が好きだから。関係あろうとなかろうと、君が落ち込んでるとこうやって慰めたくなるんだよね」

 これは、落ち込んでいる彼を慰めるためのものであって。それ以外の何ものでもなくて。
 だから、僕は彼が振り払って生意気なことを言ってくれることを期待していた、のに。

「……何言ってんスか」

 そんな悪態をつきながらも、越前は僕の腕の中でじっとしていた。



 そのままで、どれだけ時間が経っただろう。凄く長かった気がするけれど、そんなに長い時間ではないことは確かだ。
 自分より高い彼の体温を感じながら、不意に、この状態の原因に思い当たった。この小生意気な彼をここまで落ち込ませるなんて、多分一つしかない。

「……『この』原因は手塚?」

 ぽつり、と。そう囁くと、今まで僕の腕の中で大人しくしていた越前が、びくっと肩を震わせた。
 ―――― 図星、ってことかな。
 顔を埋めているからあまりその表情を見ることは出来ないけれど、それでも十分なほどに、彼の表情は切なそうで。
辛いなら吐き出せばいいのに。泣きたいなら泣いてしまえばいいのに。
 それが、出来ない彼が痛々しかった。

「………振られちゃった?」

 何の感情も込めず、ただ漏らした僕の言葉に。

「………振っても、もらえなかった」

 彼は一言だけ、発した。
 その発言の真意が掴めず、ただ黙ったまま抱きしめている僕に、越前はいくらか迷った後、ゆっくり口を開いた。

「……オレ、好きだって言って……。でも、…いい加減に、しろ…って。本気で好きなのに、……認めて…くれない。でも、そんなものなのかも……って」

 今にも泣き出しそうな声で話し終わって、越前は大きく息をついた。
 そして、そっと僕の腕から逃れて、いつもの小生意気な顔で言った。

「こんな、始まってもない試合から逃げ出すような真似、……本当、オレらしくもない。……まぁ、玉砕覚悟で諦めずに頑張りますよ」

 さっきまで、あんなに泣きそうだったのに、今はもう、晴れやかな笑顔を見せる彼を見て。
 もう、『慰め』の時間が終わったことを知った。

「……」

 不意に黙り込んだ僕を不審に思ったか、越前が僕の顔を覗き込んできた。
 きっとつり上がった眉。形の良い唇。滑らかな肌。そして、 ――― 強い意志を秘めた、吸い込まれそうに大きい瞳。

「不二先ぱ ――― 」

 僕の名前を呼びかけた越前をぎゅっと抱き締める。どうしてそうしたのかは、よく判らない。もう、彼に慰め役は必要ないのに。ただ ――― 僕が、抱き締めたかった。
 そんな僕の行動に、越前は、……抵抗してこなかった。



「 ――― 手塚なんてやめて、僕にしない?」

 さっきまでの雰囲気など微塵も感じさせず、帰り支度を終えた越前の背中に向かって、そんな言葉を投げかけてみる。いつもと、何も変わらない口調で。いつもと、何も変わらない笑顔で。
 ドアを開けて、今にも帰ろうとしていた越前は、驚いたのか、もともと大きい瞳を更に大きくして。よく見せる生意気なものでなく、もっと、何処か大人びた笑顔で振り返って言った。

「オレは、ボケで鈍くて全く気付いてくれなくても、あの人が良いんだ。……それに」
「? それに?」

 言葉を途中で切った彼に続きを促す。
 越前は僅かに迷うような仕草を見せる。顔を逸らし、僕と自身を隔てるドアを閉めながら、答えた。

「……オレ、不二先輩も結構好きだから。だから、そんな身代わりみたいなことさせたくないし、して欲しくない。――― それじゃ」

 最後の言葉と共に閉められたドアを見つめながら、僕は立ち竦んだ。
 踏み出そうとした足はよろめいて、上手く言うことを聞かず。背中が当たった壁にもたれて、ずるずると床にへたり込む。

「………そういうことか……」

 今日の、自分の不可思議な色々。答えが分かってしまえば何ということもない。相手には既に想い人がいて。自身に宿った想いも、恋と呼ぶには、あまりに淡いものだけれど。
 ……でも。

「逃げなかった君も、悪いんだよ」

 気付いてしまった以上、放ってなんておけない。
 例え報われなさそうな想いでも。

「『玉砕覚悟で諦めずに』頑張りますか」

 そう呟いた僕の言葉は、誰にも知られることはない。





あまりに懐かしいものなので、文章とかが凄ぇアレな気がして色々手直しをしたのですが。
でろでろ伸びて、微妙に違う話になってます、よ……?
もとの話では、ここまで不二→リョーマでなかったような。何でだろう。不思議(待て)。