遠い、優しい記憶。

 握られた手の温かさだとか、撫でられる心地良い感覚だとか。
 誰かが自分の傍にいてくれるという、実感。



「お、起きたか」
(あら、起きたのね)

 重い瞼をゆっくり持ち上げると、耳には二つの重なる声。声のした方に視線を向けると、そこには緋色の髪の少年が一人。だるくて身体を起こせないため視線だけを彷徨わせるが、他に人がいる様子はない。
 霞がかったような意識のまま、もう一度視線を少年に戻す。そんな自分の様子に少年は表情を曇らせ、今自分が横たわっているベッドに近づいてきた。


「ガイ、大丈夫か? そんなに具合悪いか? 何かいるか?」


 覗き込んでくる、心配に揺れる瞳。エメラルド色の、誰よりも憎い一族の証。
 そうだ、こいつは、


「……ぅ…ク……」


 その名前を呼ぼうとして、声が掠れて出ないことに気付いた。ルークは、咽喉やられてんだから喋んな!と水の入ったコップを差し出してくる。受け取って飲めば、程よく冷やされた水は熱い体に心地良く沁み渡った。
 少し楽になったおかげか、先程よりは頭が回るようになってきたようだ。自分の置かれている状況を、少しずつ理解する。
 そうだ、ここはファブレ侯爵邸で、俺は復讐のためにこの家に仕えてて、こいつはあいつの息子で、俺は復讐のためにこいつを――――

 そこで気付く。ペールがいない。一緒にこの家に庭師として仕えている、俺と目的を同じくする老人。どうやら自分は熱を出して寝込んでいたようだが、だからこそその姿が見えないのはおかしい。
 ルークの方を見て問おうと口を開けば、先回りして、今ペールは厨房でお前用の飯作ってくれてる、と答えられた。
 何でルークがここにいるのかもついでに答えてくれないかと思ったが、それには触れることなく俺の額に乗せてあるタオルを手に取った。それが温くなっていることに眉を顰め、ベッド横のテーブルに置かれた盥に張られた冷水で再び冷やして絞ると、たたみ直してまた俺の額に乗せた。


「ガイ、苦しいなら寝てて良いぞ」
(ガイ、苦しいなら寝ていなさい)


 また、重なる声。他の誰にも聞こえない、自分にしか聞こえないもう一つの声。
 あぁ、だってその声の持ち主はもう何処にもいない。厳しく、優しかった姉。幼い自分は彼女に叱られてばかりだったが、寝込んだ時にはずっと傍に付いていてくれた。手を握り、髪を撫で。ここにいる、と伝えてくれた。
 そんな姉を殺したのはこいつの父親だというのに、何故そんなルークと姉の姿が重なってしまうのだろうか。そこまで高熱に判断力を奪われているのだろうか。


 虚ろな瞳で何も言わずにぼんやりしている俺の具合が不安になってきたのか、ルークはがたんと音を立てて腰かけていたベッドサイドの椅子から立ち上がると、ペールを呼んでくる!とドアへと駆け出そうとした。

 向けられる背。離れていく温もり。いなく、なる。


 その瞬間。
 翻ったルークの服の端を、反射的に掴んだ。


 驚愕に目を見開くルーク。戸惑っているのは充分に感じ取れたが、この手を離すことはしない。
 こいつと姉が重なるくらいに判断力が失われているのなら、そのまま勘違いして熱に浮かされるままに、こいつを放さなくてもいいだろう? 一人にしないでと、置いていかないでと、子供のように縋ったっていいだろう?
 それを許してくれても、いいだろう?


 ルークはしばらく困ったようにそのまま立っていたが、恐る恐る俺の手を取ると、もう一度椅子に座った。
 それを確認してから掴んだままだったルークの服を離すと、添えられているだけだったルークの手にしっかりと握られて包み込まれる。その手は記憶にある姉の手とは違い、剣の鍛錬のせいで硬くなっていて、お世辞にも滑らかとはいえない手だったけれど。


「大丈夫、ちゃんとここにいてやるから」
(大丈夫よ、ここにいるわ)


 その温かさと向けられた笑顔は、やっぱり何処か姉のものと似ていて。
 その優しい記憶に手を伸ばすように、ゆっくりと瞼を閉じた。


10. ほしいものは
風邪っぴきガイ様。かなり熱にやられているようです。
屋敷時代のルークに絆されかけてる黒ガイ様は書いててとても楽しいです。


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