届かないと分かっているから、手を伸ばせなかった。届きそうなものに縋ってしまった。
そんなことしても、何も変わらない、悪化するだけだと知っていたのに。
重い溜息を一つ零し、虎徹は空を振り仰ぐ。安っぽいネオンの光の向こうに微かに見える星に目を細め、もう一つ溜息を吐く。溜息など幾ら吐いても何も変わらないことは分かっているが、それでも出てしまうものは出てしまうのだ。仕方ない。知らず止まっていた足を再び動かしながら、数時間前の出来事を反芻する。
いつも通りの出動要請に、いつも通りの虎徹の失敗。そして、いつも通り逃したポイント。ただ、今回は今までになくそれが続いてしまっていた。ポイント獲得を何よりも優先するバーナビーにしてみれば、相当ストレスが溜まっていただろう。それは当然虎徹にも無言の圧力という形で伝わっていたので、今回ばかりはバーナビーの指示に従ってポイントを得るつもりだったのだ。
だが、あの一瞬。隠れていた犯人の銃がバーナビーを狙っていると、そう気付いてしまった瞬間、大人しくサポートに回る筈だった身体が勝手に動いてしまった。庇うように突然飛び出してきた虎徹に虚を突かれてしまったバーナビーは、銃弾を受けることこそなかったものの、犯人を取り逃がしてしまった。
考えてみれば、あの冷静沈着な彼が、犯人の数が足りないことに気付いていない筈ないのだ。当然警戒していただろうし、それこそ隠れていることも気付いていたかもしれない。それでも、そのときの虎徹にはそんな判断は出来なかった。バーナビーが危ない、それだけだった。
その状況にあったのが他のどの人間であっても、自分は同じ行動を取っていただろうと虎徹は思う。それでも、今回自粛する筈だった御節介をしてしまったのは、虎徹がバーナビーを好きだからだ。それも、恋愛感情という意味で。
気付いたときには、もう好きだった。正直、虎徹自身"なんでこんな奴を"を思わなかった訳ではない。有能だけど生意気で、冷たいほど合理的で、―――何より、虎徹を迷惑に感じていて。そんな人間相手に、何故亡くなった妻以来の好意を感じてしまったのか。どれだけ考えても、さっぱり分からなかった。それでもその感情は胸の内に存在したし、止められなかった。知らず落ちて、そのまま転がっていく。自分の恋の仕方は、誰より自分自身が知っていた。
この想いを相手に告げる気は欠片もなかった。受け入れてもらえるとは到底思えなかった。それどころか、今の関係すら徹底的に壊してしまうだろう。それほどバーナビーと虎徹の距離は、外面的にも内面的にも遠かった。傍から見れば、若くて顔も良い人気のニューヒーローと落ち目のオジサンで、何より男同士だ。それを覆せるほどの好意どころか、嫌悪感しか持たれていない人間相手に希望を持てるほど、虎徹は若くはなかった。
誰にも知られることもなく終わるしかない恋なのだ。さっさと忘れてしまえばいい。そう思うが、嫌でも毎日顔を合わせて言葉を交わすことからは逃れられない。期待を持つことなど欠片も出来ないような間柄でも、こうも近くに感じてしまっては中々終わりは訪れそうもなかった。
そんな中、起こったのが今日の事件だった。バーナビーにしてみれば邪魔以外の何ものでもない行動を取った虎徹に対し、とうとう耐えかねたのだろう。今までにないほどの冷たい目で、彼は静かに言い放った。
(僕の邪魔しか出来ないのなら、いっそ何もしないで下さい。あなたにはもう、うんざりだ)
呆れすら通り越した、嫌悪と軽蔑。翡翠の瞳にあったのはそれだけだった。そう告げてきたバーナビーに自分は何と返して、どうやってここまで歩いてきたのか。思い出せない。思い出したくないだけかもしれないが。
「………きっつい、なぁ……」
小さく零れた呟きは、このブロンズステージの喧噪の中では、誰に拾われることもなく消えていく。ふらり、ほとんど無意識で、一度も入ったことのない酒場の扉に手を掛ける。ただ、浴びるように酒を飲んで全部忘れてしまいたかった。誰一人、自分という人間を知らないところで。
からん、虎徹の手元で安く強いばかりの酒が入ったグラスが音を立てる。もう何杯めだろうか。相当アルコールが回っている。こんな安っぽいバーでは、バーテンも気を利かせて弱い酒や水を出してきたりはしない。思うまま酒に溺れることが出来る。だが、いい加減引き上げた方が良いかもしれない。介抱してくれる人間もいないのだ、自力で家まで帰りつくにはそろそろ限界だ。
これが最後の一杯と決めて酒を呷ると、不意に手元が翳った。ぼんやりとした思考のまま視線を隣に向けると、男が一人立っていた。逆光になってよく見えない姿に、一瞬息をのむ。店の薄暗い光に浮かび上がった髪の色が、彼と、――――バーナビーと同じ金髪だったからだ。
「隣、空いてますよね。座っても?」
にこりと色っぽい笑顔で掛けられた言葉にはっとする。違う、全くの別人だ。身長と髪の色は同じかもしれないが、その声は彼より低く、どちらかというと中性的なバーナビ―に比べれば精悍な顔つきをしている。歳も、彼よりはいくつか上かもしれない。驚きに言葉を失ったままの虎徹の無言を肯定と取ったのか、彼は空いていた椅子に腰かけた。強引過ぎもせず嫌味でもない、優美な仕種に目を奪われる。
「失礼とは思ったんですけど……隣に誰かいた方が良いように思えたので」
「……そんなに、酷い? 俺」
自嘲を浮かべた虎徹の問いに、困ったような笑顔を返してくる。その表情に、初対面の相手の前だというのに、年甲斐もなく縋って泣いてしまいたくなった。それを隠すように、グラスに残っていた酒を呷る。アルコールが喉を灼く感覚と共に、ぐらりと視界も揺れた。やはり、大分酔ってしまっている。硬く目を瞑って不快感をやり過ごしていると、静かに虎徹を見守っていた男が口を開いた。
「……場所、変えませんか。あなたも相当酔っているみたいですし」
その言葉に、一瞬身を強張らせる。こんな状況でかけられた言葉の意味が分からないほど子供ではない。だが、愛した人もそういった行為の相手も妻ただ一人の虎徹は、男相手にそういった行為をしたことはなかった。
戸惑う虎徹に、男は微笑む。無理強いはしません、と。きらきら、その笑顔を彩るようにハニーブロンドの髪が照明を受けて煌めく。何故だろう。自分でも分からないが、何故か虎徹はその誘いに首を縦に振ってしまっていた。
優しく横たえられたホテルのベッドに、虎徹の身体が沈む。軋むこともないそれは、虚ろな虎徹の思考にここがラブホテルの様な場所ではなく一般的なホテルであることを伝えてくる。その気遣いが、何故かまた涙を誘う。酔っている所為か、どうも涙腺が緩みがちだ。
こういった場合はシャワーくらい浴びるのがマナーだと思うが、身体がだるくて起き上がる気になれない。男もそれは承知しているようで、その点は何も言及せずに虎徹の額に一つ口付ける。
「初めて、なんでしょう? 優しくしますから」
こんな一夜限りの行きずりの相手にそこまで気を使うこともないと思う程に、男は丁寧に虎徹の身体を愛撫していく。抱かれる側は初めてだが、ずっと御無沙汰だった身体は素直に快感を拾って熱を高めていった。
頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなって。つい想い人の名を呼びそうになってしまって、僅かに残っていた理性で口を噤む。泣きそうな顔をして口元を手で覆った虎徹に、男は困ったような笑顔で言う。
「……良いですよ。あなたの叶わない恋の相手と、重ねても構わないです」
その言葉に、体中の血の気が引いた。片恋をしていることを気付かれていたことにではない、ようやく自分の行動の理由に思い当たったからだ。
この男の前で泣きたくなったのも、こんな誘いについてきてしまったのも、全てこの男にバーナビーを重ねてしまったからだと。届かない想いが届いたかのような勘違いをしたくなっただけなのだと。
だからこそ、こんな場面でこんな行為をしようとする男に重ねられるバーナビーの表情も感情も知らない自分に打ちのめされた。呆れ、怒り、嫌悪、そして対外用の作った笑顔。虎徹の知っている彼はそれだけだ。この男がするような優しい笑顔どころか、ただの同僚としての好意すら知らない。何も、重ねられない。
だったらせめて、何もかも忘れさせてくれ。そう告げるように、目の前の唇に噛みつくようなキスをする。その意図を正確に汲み取った男が愛撫を再開するのを見て、虎徹はゆっくりと視覚を遮断した。
(……バニー、)
呼ぶことすら出来ない名を胸の中だけで呟く。一筋の涙が虎徹の頬を伝った。
そんなことしても、何も変わらない、悪化するだけだと知っていたのに。
01 ・ 見つからない終わり
「はぁ……やっちまったなぁ……」重い溜息を一つ零し、虎徹は空を振り仰ぐ。安っぽいネオンの光の向こうに微かに見える星に目を細め、もう一つ溜息を吐く。溜息など幾ら吐いても何も変わらないことは分かっているが、それでも出てしまうものは出てしまうのだ。仕方ない。知らず止まっていた足を再び動かしながら、数時間前の出来事を反芻する。
いつも通りの出動要請に、いつも通りの虎徹の失敗。そして、いつも通り逃したポイント。ただ、今回は今までになくそれが続いてしまっていた。ポイント獲得を何よりも優先するバーナビーにしてみれば、相当ストレスが溜まっていただろう。それは当然虎徹にも無言の圧力という形で伝わっていたので、今回ばかりはバーナビーの指示に従ってポイントを得るつもりだったのだ。
だが、あの一瞬。隠れていた犯人の銃がバーナビーを狙っていると、そう気付いてしまった瞬間、大人しくサポートに回る筈だった身体が勝手に動いてしまった。庇うように突然飛び出してきた虎徹に虚を突かれてしまったバーナビーは、銃弾を受けることこそなかったものの、犯人を取り逃がしてしまった。
考えてみれば、あの冷静沈着な彼が、犯人の数が足りないことに気付いていない筈ないのだ。当然警戒していただろうし、それこそ隠れていることも気付いていたかもしれない。それでも、そのときの虎徹にはそんな判断は出来なかった。バーナビーが危ない、それだけだった。
その状況にあったのが他のどの人間であっても、自分は同じ行動を取っていただろうと虎徹は思う。それでも、今回自粛する筈だった御節介をしてしまったのは、虎徹がバーナビーを好きだからだ。それも、恋愛感情という意味で。
気付いたときには、もう好きだった。正直、虎徹自身"なんでこんな奴を"を思わなかった訳ではない。有能だけど生意気で、冷たいほど合理的で、―――何より、虎徹を迷惑に感じていて。そんな人間相手に、何故亡くなった妻以来の好意を感じてしまったのか。どれだけ考えても、さっぱり分からなかった。それでもその感情は胸の内に存在したし、止められなかった。知らず落ちて、そのまま転がっていく。自分の恋の仕方は、誰より自分自身が知っていた。
この想いを相手に告げる気は欠片もなかった。受け入れてもらえるとは到底思えなかった。それどころか、今の関係すら徹底的に壊してしまうだろう。それほどバーナビーと虎徹の距離は、外面的にも内面的にも遠かった。傍から見れば、若くて顔も良い人気のニューヒーローと落ち目のオジサンで、何より男同士だ。それを覆せるほどの好意どころか、嫌悪感しか持たれていない人間相手に希望を持てるほど、虎徹は若くはなかった。
誰にも知られることもなく終わるしかない恋なのだ。さっさと忘れてしまえばいい。そう思うが、嫌でも毎日顔を合わせて言葉を交わすことからは逃れられない。期待を持つことなど欠片も出来ないような間柄でも、こうも近くに感じてしまっては中々終わりは訪れそうもなかった。
そんな中、起こったのが今日の事件だった。バーナビーにしてみれば邪魔以外の何ものでもない行動を取った虎徹に対し、とうとう耐えかねたのだろう。今までにないほどの冷たい目で、彼は静かに言い放った。
(僕の邪魔しか出来ないのなら、いっそ何もしないで下さい。あなたにはもう、うんざりだ)
呆れすら通り越した、嫌悪と軽蔑。翡翠の瞳にあったのはそれだけだった。そう告げてきたバーナビーに自分は何と返して、どうやってここまで歩いてきたのか。思い出せない。思い出したくないだけかもしれないが。
「………きっつい、なぁ……」
小さく零れた呟きは、このブロンズステージの喧噪の中では、誰に拾われることもなく消えていく。ふらり、ほとんど無意識で、一度も入ったことのない酒場の扉に手を掛ける。ただ、浴びるように酒を飲んで全部忘れてしまいたかった。誰一人、自分という人間を知らないところで。
からん、虎徹の手元で安く強いばかりの酒が入ったグラスが音を立てる。もう何杯めだろうか。相当アルコールが回っている。こんな安っぽいバーでは、バーテンも気を利かせて弱い酒や水を出してきたりはしない。思うまま酒に溺れることが出来る。だが、いい加減引き上げた方が良いかもしれない。介抱してくれる人間もいないのだ、自力で家まで帰りつくにはそろそろ限界だ。
これが最後の一杯と決めて酒を呷ると、不意に手元が翳った。ぼんやりとした思考のまま視線を隣に向けると、男が一人立っていた。逆光になってよく見えない姿に、一瞬息をのむ。店の薄暗い光に浮かび上がった髪の色が、彼と、――――バーナビーと同じ金髪だったからだ。
「隣、空いてますよね。座っても?」
にこりと色っぽい笑顔で掛けられた言葉にはっとする。違う、全くの別人だ。身長と髪の色は同じかもしれないが、その声は彼より低く、どちらかというと中性的なバーナビ―に比べれば精悍な顔つきをしている。歳も、彼よりはいくつか上かもしれない。驚きに言葉を失ったままの虎徹の無言を肯定と取ったのか、彼は空いていた椅子に腰かけた。強引過ぎもせず嫌味でもない、優美な仕種に目を奪われる。
「失礼とは思ったんですけど……隣に誰かいた方が良いように思えたので」
「……そんなに、酷い? 俺」
自嘲を浮かべた虎徹の問いに、困ったような笑顔を返してくる。その表情に、初対面の相手の前だというのに、年甲斐もなく縋って泣いてしまいたくなった。それを隠すように、グラスに残っていた酒を呷る。アルコールが喉を灼く感覚と共に、ぐらりと視界も揺れた。やはり、大分酔ってしまっている。硬く目を瞑って不快感をやり過ごしていると、静かに虎徹を見守っていた男が口を開いた。
「……場所、変えませんか。あなたも相当酔っているみたいですし」
その言葉に、一瞬身を強張らせる。こんな状況でかけられた言葉の意味が分からないほど子供ではない。だが、愛した人もそういった行為の相手も妻ただ一人の虎徹は、男相手にそういった行為をしたことはなかった。
戸惑う虎徹に、男は微笑む。無理強いはしません、と。きらきら、その笑顔を彩るようにハニーブロンドの髪が照明を受けて煌めく。何故だろう。自分でも分からないが、何故か虎徹はその誘いに首を縦に振ってしまっていた。
優しく横たえられたホテルのベッドに、虎徹の身体が沈む。軋むこともないそれは、虚ろな虎徹の思考にここがラブホテルの様な場所ではなく一般的なホテルであることを伝えてくる。その気遣いが、何故かまた涙を誘う。酔っている所為か、どうも涙腺が緩みがちだ。
こういった場合はシャワーくらい浴びるのがマナーだと思うが、身体がだるくて起き上がる気になれない。男もそれは承知しているようで、その点は何も言及せずに虎徹の額に一つ口付ける。
「初めて、なんでしょう? 優しくしますから」
こんな一夜限りの行きずりの相手にそこまで気を使うこともないと思う程に、男は丁寧に虎徹の身体を愛撫していく。抱かれる側は初めてだが、ずっと御無沙汰だった身体は素直に快感を拾って熱を高めていった。
頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなって。つい想い人の名を呼びそうになってしまって、僅かに残っていた理性で口を噤む。泣きそうな顔をして口元を手で覆った虎徹に、男は困ったような笑顔で言う。
「……良いですよ。あなたの叶わない恋の相手と、重ねても構わないです」
その言葉に、体中の血の気が引いた。片恋をしていることを気付かれていたことにではない、ようやく自分の行動の理由に思い当たったからだ。
この男の前で泣きたくなったのも、こんな誘いについてきてしまったのも、全てこの男にバーナビーを重ねてしまったからだと。届かない想いが届いたかのような勘違いをしたくなっただけなのだと。
だからこそ、こんな場面でこんな行為をしようとする男に重ねられるバーナビーの表情も感情も知らない自分に打ちのめされた。呆れ、怒り、嫌悪、そして対外用の作った笑顔。虎徹の知っている彼はそれだけだ。この男がするような優しい笑顔どころか、ただの同僚としての好意すら知らない。何も、重ねられない。
だったらせめて、何もかも忘れさせてくれ。そう告げるように、目の前の唇に噛みつくようなキスをする。その意図を正確に汲み取った男が愛撫を再開するのを見て、虎徹はゆっくりと視覚を遮断した。
(……バニー、)
呼ぶことすら出来ない名を胸の中だけで呟く。一筋の涙が虎徹の頬を伝った。
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