辛いんだ。苦しいんだ。
それを埋めるために、溺れていく自分を、知られたくなかった。知られる訳には、いかなかった。
そう、虎徹にとってこの行為は、もはや恋愛の代替行為でも快楽を得るためでも、増してや性欲処理ですらなかった。ただ、何も考えずに眠りに就くための過程でしかなかった。
皮肉なことに、この馬鹿げた遊びを始めて以来、バーナビーとの関係は上手くいっていた。ヒーローでありながらこんな生活をしている後ろめたさからなのか、虎徹はバーナビーに必要以上に接触することを避けるようになってしまった。その結果、虎徹の御節介発言からの口論がなくなり、出動時も一歩引いてサポートに回るようになったおかげでバーナビーのポイントも順調に増えていった。
ただ、それで上昇するかと思われたバーナビーの機嫌が、日に日に悪化していくことだけが虎徹の気がかりだった。
「一体、なんなんですか、おじさん」
出動のないまま終業時刻を迎え、事務の女性も定時きっかりに帰宅した。提出期限が切れた書類もないのだから自分も帰って構わないだろうと帰り支度をして立ち上がった虎徹の背に、不機嫌さを隠しもしないバーナビーの声が投げかけられた。椅子に座ったまま突き刺すように向けてくる非難の視線に、首を傾げて言葉の意味を反芻してみるが、さっぱり分からない。最近のバーナビーがやたら苛々していたことは気付いていたが、"なんなんだ"とだけ言われてもその理由が思い当たらない。
バーナビーが常々望んでいた通り、彼のプライベートに踏み込むような発言は自重しているし、ポイントだって確実に稼いでいる。嫌がっていた呼び名だって、最近は話しかけること自体が減ったため御無沙汰だ。もっとも、それらは彼の要望を聞き入れたからではなく、虎徹側の都合でしかなかったが、それでも結果は同じだ。こんな風に彼に責められる覚えはない。
そんな虎徹の態度に更に苛立ったのか、がたんと音を立ててバーナビーが立ち上がる。乱暴な、彼らしくない仕種に驚いていると、ぐっと顔を近付けられて息を呑む。
「最近のあなたの態度のことですよ。ついこの間までうっとおしいほどに世話を焼いてきたと思ったら、突然僕のことを避け出して。一体、どういうつもりなんですか」
ああ、なんだ。そんなこと、か。
うっとおしいという単語の苦しさと、そしてこんな形とはいえ自分のことを気にしてくれた喜びで、虎徹の胸は痛いくらいに軋みを上げる。馬鹿だなぁ、俺も。そう自嘲してみたところで、この告げられない想いはなくならない。心はこんなにも遠いのに、物理的な距離だけ近い今の関係が泣きたいくらいに辛かった。痛い、苦しい、早くこの場を去りたい。頼むから。
そんな感情を押し殺して、へらりと虎徹は笑う。バーナビーの眉間に皺が寄るのが見えたが、見なかった振りをする。全部、全部、なかったことにしよう。目を逸らすことくらい、許してくれよ。
「別に何もねぇって。俺もちょっと引くこと覚えたっていうか? とにかく、お前が気にすることはねぇよ」
「……そんな説明で納得しろと?」
「だから、何もねぇんだって。それより、俺、これから用事あるからさ。先上がるなー」
強制的に会話を打ち切って背を向ける。嘘だ、本当は用事なんてない。ただこの場にいたくないだけだ。あぁ、でも用事はこれから作った方が良いかもしれない。このままじゃ、今夜は眠れそうにない。何処かのバーで相手を見繕おうか。本当に最低だとは分かっているのだけれど、背に腹は代えられない。。
未だ言い募りたそうな相手を、扉一枚閉めることで隔てる。こんなふうに簡単に気持ちも切り捨てられたら楽なのに、そんなことを思いつつエントランスロビーへと足を向けた。
夕闇に包まれ始めた街は、忙しなく行き交う人で溢れている。いつもならば何処か温かい気持ちにさせてくれる平和な風景に、何処か居心地の悪さを感じて目を伏せる。どうやら、自覚している以上に参っているらしい。さっさと相手を見つけることにしようと、人波に混じるようにしてロビーの出入り口から続く階段を下りた。
さて、何処に向かうかと歩調を緩めた途端、横から伸びてきた手に腕を掴まれて薄暗い裏路地に引き込まれた。事件かと、緩んでいた意識を切り替えて、その手を反射的に振り払うと、返ってきたのは可笑しそうな笑い声だった。
「あ? おまえ、確か……」
あ、憶えててくれた?なんて無邪気に笑うその顔に、虎徹は見覚えがあった。何度かバーで会って、一緒に酒を飲んだことがある。そして、一度だけ、寝た男だ。知らず詰めていた息を大きく吐き出すと、男はまた笑った。
「いや、悪かったな。たまたま見かけたから、ちょっと驚かしてやろうかと思ってさ。そしたら予想以上に反応良いから驚いたぜ。あんた、何か格闘技とかやってる人なの?」
「あ、いや……」
男の発言に内心でぎくりと動揺する。自分は名乗っていないし、ワイルドタイガーの本名も素顔も一般には知られていない。能力を発動でもしない限り虎徹がヒーローだとバレることはないと思うが、いらぬ詮索は受けないに越したことはない。適当に誤魔化すと、そこまで興味がある話題でもなかったのか、男はあっさりと引いた。
それに安堵したのも束の間、男と自分の距離が異様に近いことにようやく虎徹は気付いた。明らかに情事を意識した距離感に思わず身体を引こうとするが、壁に阻まれる。おいおい、まさか此処で何かしだすつもりじゃないだろうな、そう焦る虎徹を壁に押し付けて男は笑みを浮かべた。その笑みが先程までの無邪気なものではなく、色を含んだものに変わっていることに気付いて、虎徹の背中を嫌な汗が伝った。そうだった、こいつは悪い奴ではないけど、ちょっと空気読めないんだよな、なんて今更思い出したところで後の祭りだ。
勘弁してくれよ、そんなことを思いながらも身体はさっさと諦めて力が抜けていく。それに気を良くした男が粗野な笑みを浮かべながら顔を近付けてきた。どうでも良くなって瞼を閉じた瞬間―――鈍い音と共に、虎徹に掛けられていた重みが不意に消失した。恐る恐る目を開くと、そこには見慣れてしまったハニーブロンドがあった。
「………え……?」
大通りを背にしているために逆光だが、どう見ても間違いようがない、バーナビー本人だ。そう認識した途端に、虎徹を更なる混乱が襲う。何故、何故こんな裏通りに彼がいるのか。何故、こんな冷たい目を、しているのか。
思考を遮るように、呻き声が耳に届く。視線を向けると、そこには男が蹲っていた。どうやら殴り飛ばされたらしい。目を閉じていたため確証はないが、殴ったのは間違いなくバーナビーだろう。冷え切った視線を男から一瞬も外さず、睨み据えている。
そこまで事態を理解して、虎徹は青褪めた。バーナビーは自分と違い、素顔を晒してヒーロー業を行っている。これがどんなスキャンダルに繋がるか分からない。早くこの場を立ち去らせた方が良いことは明白だ。慌ててバーナビーの方を振り返り、口を開きかける。
「――――って……え、あんた、まさかバーナビー? ヒーローの?」
間に合わなかった。虎徹がバーナビーを促すより早く、顔を上げた男はバーナビーに気付いてしまった。その驚いたような声に思わず舌打ちを零した。
迂闊だった。あんな会話の直後なのだ、もっと警戒しておくべきだったのだ。何でもないなんて誤魔化しで、この変に気真面目なバーナビーが納得する訳はないのだ。まさか自分を追ってきて、しかもどう事情を解釈したのかは分からないが、横からこんな乱入の仕方をするなんてことは想定外だったが、少なくとも会社の近くで遊び相手と会ってしまうなんてことは避けるべきだった。
その結果が今だ。今人気のニューヒーローが突然一般人に殴りかかり、威嚇しているという状況。しかも虎徹は今マスクをしていない。虎徹とワイルドタイガーを結び付けるものがない現状は、傍から見れば、バーナビーが通りがかりの見知らぬ人間に襲いかかったようにさえ見えるだろう。……どうにか、しなければ。
「……いやー、さっすがバーナビーさん! ヒーローってのはプライベートでも人助けするもんなんですねぇ!」
唐突に、わざとらしい程明るい声を上げた虎徹に二人の視線が向けられる。いきなり何を言い出すのかと咎めるような目をしたバーナビーを、黙ってろ、との意を込めて横目で睨むと、不本意そうではあるが開きかけた口を閉じた。それを確認して、陽気な笑顔を貼り付けて未だ座り込んだままの男を助け起こす。
「いや、でも大丈夫ですよ! 俺達、知り合いなんで。揉めてたとかでもないんですよ、御心配おかけしました!」
通りがかりに揉め事を見かけてしまったので、仲裁に入ったヒーロー。我ながら陳腐で苦しい設定だと思ったが、いきなりのことで状況把握も満足でないだろう男は虎徹とバーナビーを見比べるだけだ。このままなし崩しに事態を進めてしまえと適当にバーナビーに会釈しながら、男を大通り側へと押しやった。このまま脱出すれば、ひとまずは事件終了だ。
人混みの奏でる喧騒に再び身を任せて、ようやく溜息を吐く。何だか非常に疲れた。寿命だっていくらか縮んだかもしれない。もう夜遊びをする気にもなれなくて、まだ呆然としている男を言い包めてその場で別れる。ふらふらとしながらも近くのバーへと入っていく後ろ姿を見送って、もう一つ溜息を吐いた。
ちらりと横目で今自分達が出てきた路地を見る。まだバーナビーはあそこにいるのだろうか。さすがに引き止めも追い掛けもされなかったが、それでも路地を出るまでの間中、痛いくらいに非難の視線を背中に浴びせてくれた。
(……放っておいてくれりゃいいのに、お前こそどういうつもりなんだよ)
恐らく、明日オフィスでまた問い詰められるのだろう。それを思うと憂鬱で、また一つ溜息が零れた。
それを埋めるために、溺れていく自分を、知られたくなかった。知られる訳には、いかなかった。
02 ・ 軋む関係性
あの夜から、1カ月が経った。あの男とはそれっきりだったが、他の男とは何度か寝た。相手は毎回違ったが、あの男のようなハニーブロンドの人間は敢えて避けた。あんな虚しい思いをするのは一度で充分だった。それを言うならこれらの行為だって大差ないのだが、快感に溺れて何も考えなくて済む時間を得られる誘惑には抗えなかった。そう、虎徹にとってこの行為は、もはや恋愛の代替行為でも快楽を得るためでも、増してや性欲処理ですらなかった。ただ、何も考えずに眠りに就くための過程でしかなかった。
皮肉なことに、この馬鹿げた遊びを始めて以来、バーナビーとの関係は上手くいっていた。ヒーローでありながらこんな生活をしている後ろめたさからなのか、虎徹はバーナビーに必要以上に接触することを避けるようになってしまった。その結果、虎徹の御節介発言からの口論がなくなり、出動時も一歩引いてサポートに回るようになったおかげでバーナビーのポイントも順調に増えていった。
ただ、それで上昇するかと思われたバーナビーの機嫌が、日に日に悪化していくことだけが虎徹の気がかりだった。
「一体、なんなんですか、おじさん」
出動のないまま終業時刻を迎え、事務の女性も定時きっかりに帰宅した。提出期限が切れた書類もないのだから自分も帰って構わないだろうと帰り支度をして立ち上がった虎徹の背に、不機嫌さを隠しもしないバーナビーの声が投げかけられた。椅子に座ったまま突き刺すように向けてくる非難の視線に、首を傾げて言葉の意味を反芻してみるが、さっぱり分からない。最近のバーナビーがやたら苛々していたことは気付いていたが、"なんなんだ"とだけ言われてもその理由が思い当たらない。
バーナビーが常々望んでいた通り、彼のプライベートに踏み込むような発言は自重しているし、ポイントだって確実に稼いでいる。嫌がっていた呼び名だって、最近は話しかけること自体が減ったため御無沙汰だ。もっとも、それらは彼の要望を聞き入れたからではなく、虎徹側の都合でしかなかったが、それでも結果は同じだ。こんな風に彼に責められる覚えはない。
そんな虎徹の態度に更に苛立ったのか、がたんと音を立ててバーナビーが立ち上がる。乱暴な、彼らしくない仕種に驚いていると、ぐっと顔を近付けられて息を呑む。
「最近のあなたの態度のことですよ。ついこの間までうっとおしいほどに世話を焼いてきたと思ったら、突然僕のことを避け出して。一体、どういうつもりなんですか」
ああ、なんだ。そんなこと、か。
うっとおしいという単語の苦しさと、そしてこんな形とはいえ自分のことを気にしてくれた喜びで、虎徹の胸は痛いくらいに軋みを上げる。馬鹿だなぁ、俺も。そう自嘲してみたところで、この告げられない想いはなくならない。心はこんなにも遠いのに、物理的な距離だけ近い今の関係が泣きたいくらいに辛かった。痛い、苦しい、早くこの場を去りたい。頼むから。
そんな感情を押し殺して、へらりと虎徹は笑う。バーナビーの眉間に皺が寄るのが見えたが、見なかった振りをする。全部、全部、なかったことにしよう。目を逸らすことくらい、許してくれよ。
「別に何もねぇって。俺もちょっと引くこと覚えたっていうか? とにかく、お前が気にすることはねぇよ」
「……そんな説明で納得しろと?」
「だから、何もねぇんだって。それより、俺、これから用事あるからさ。先上がるなー」
強制的に会話を打ち切って背を向ける。嘘だ、本当は用事なんてない。ただこの場にいたくないだけだ。あぁ、でも用事はこれから作った方が良いかもしれない。このままじゃ、今夜は眠れそうにない。何処かのバーで相手を見繕おうか。本当に最低だとは分かっているのだけれど、背に腹は代えられない。。
未だ言い募りたそうな相手を、扉一枚閉めることで隔てる。こんなふうに簡単に気持ちも切り捨てられたら楽なのに、そんなことを思いつつエントランスロビーへと足を向けた。
夕闇に包まれ始めた街は、忙しなく行き交う人で溢れている。いつもならば何処か温かい気持ちにさせてくれる平和な風景に、何処か居心地の悪さを感じて目を伏せる。どうやら、自覚している以上に参っているらしい。さっさと相手を見つけることにしようと、人波に混じるようにしてロビーの出入り口から続く階段を下りた。
さて、何処に向かうかと歩調を緩めた途端、横から伸びてきた手に腕を掴まれて薄暗い裏路地に引き込まれた。事件かと、緩んでいた意識を切り替えて、その手を反射的に振り払うと、返ってきたのは可笑しそうな笑い声だった。
「あ? おまえ、確か……」
あ、憶えててくれた?なんて無邪気に笑うその顔に、虎徹は見覚えがあった。何度かバーで会って、一緒に酒を飲んだことがある。そして、一度だけ、寝た男だ。知らず詰めていた息を大きく吐き出すと、男はまた笑った。
「いや、悪かったな。たまたま見かけたから、ちょっと驚かしてやろうかと思ってさ。そしたら予想以上に反応良いから驚いたぜ。あんた、何か格闘技とかやってる人なの?」
「あ、いや……」
男の発言に内心でぎくりと動揺する。自分は名乗っていないし、ワイルドタイガーの本名も素顔も一般には知られていない。能力を発動でもしない限り虎徹がヒーローだとバレることはないと思うが、いらぬ詮索は受けないに越したことはない。適当に誤魔化すと、そこまで興味がある話題でもなかったのか、男はあっさりと引いた。
それに安堵したのも束の間、男と自分の距離が異様に近いことにようやく虎徹は気付いた。明らかに情事を意識した距離感に思わず身体を引こうとするが、壁に阻まれる。おいおい、まさか此処で何かしだすつもりじゃないだろうな、そう焦る虎徹を壁に押し付けて男は笑みを浮かべた。その笑みが先程までの無邪気なものではなく、色を含んだものに変わっていることに気付いて、虎徹の背中を嫌な汗が伝った。そうだった、こいつは悪い奴ではないけど、ちょっと空気読めないんだよな、なんて今更思い出したところで後の祭りだ。
勘弁してくれよ、そんなことを思いながらも身体はさっさと諦めて力が抜けていく。それに気を良くした男が粗野な笑みを浮かべながら顔を近付けてきた。どうでも良くなって瞼を閉じた瞬間―――鈍い音と共に、虎徹に掛けられていた重みが不意に消失した。恐る恐る目を開くと、そこには見慣れてしまったハニーブロンドがあった。
「………え……?」
大通りを背にしているために逆光だが、どう見ても間違いようがない、バーナビー本人だ。そう認識した途端に、虎徹を更なる混乱が襲う。何故、何故こんな裏通りに彼がいるのか。何故、こんな冷たい目を、しているのか。
思考を遮るように、呻き声が耳に届く。視線を向けると、そこには男が蹲っていた。どうやら殴り飛ばされたらしい。目を閉じていたため確証はないが、殴ったのは間違いなくバーナビーだろう。冷え切った視線を男から一瞬も外さず、睨み据えている。
そこまで事態を理解して、虎徹は青褪めた。バーナビーは自分と違い、素顔を晒してヒーロー業を行っている。これがどんなスキャンダルに繋がるか分からない。早くこの場を立ち去らせた方が良いことは明白だ。慌ててバーナビーの方を振り返り、口を開きかける。
「――――って……え、あんた、まさかバーナビー? ヒーローの?」
間に合わなかった。虎徹がバーナビーを促すより早く、顔を上げた男はバーナビーに気付いてしまった。その驚いたような声に思わず舌打ちを零した。
迂闊だった。あんな会話の直後なのだ、もっと警戒しておくべきだったのだ。何でもないなんて誤魔化しで、この変に気真面目なバーナビーが納得する訳はないのだ。まさか自分を追ってきて、しかもどう事情を解釈したのかは分からないが、横からこんな乱入の仕方をするなんてことは想定外だったが、少なくとも会社の近くで遊び相手と会ってしまうなんてことは避けるべきだった。
その結果が今だ。今人気のニューヒーローが突然一般人に殴りかかり、威嚇しているという状況。しかも虎徹は今マスクをしていない。虎徹とワイルドタイガーを結び付けるものがない現状は、傍から見れば、バーナビーが通りがかりの見知らぬ人間に襲いかかったようにさえ見えるだろう。……どうにか、しなければ。
「……いやー、さっすがバーナビーさん! ヒーローってのはプライベートでも人助けするもんなんですねぇ!」
唐突に、わざとらしい程明るい声を上げた虎徹に二人の視線が向けられる。いきなり何を言い出すのかと咎めるような目をしたバーナビーを、黙ってろ、との意を込めて横目で睨むと、不本意そうではあるが開きかけた口を閉じた。それを確認して、陽気な笑顔を貼り付けて未だ座り込んだままの男を助け起こす。
「いや、でも大丈夫ですよ! 俺達、知り合いなんで。揉めてたとかでもないんですよ、御心配おかけしました!」
通りがかりに揉め事を見かけてしまったので、仲裁に入ったヒーロー。我ながら陳腐で苦しい設定だと思ったが、いきなりのことで状況把握も満足でないだろう男は虎徹とバーナビーを見比べるだけだ。このままなし崩しに事態を進めてしまえと適当にバーナビーに会釈しながら、男を大通り側へと押しやった。このまま脱出すれば、ひとまずは事件終了だ。
人混みの奏でる喧騒に再び身を任せて、ようやく溜息を吐く。何だか非常に疲れた。寿命だっていくらか縮んだかもしれない。もう夜遊びをする気にもなれなくて、まだ呆然としている男を言い包めてその場で別れる。ふらふらとしながらも近くのバーへと入っていく後ろ姿を見送って、もう一つ溜息を吐いた。
ちらりと横目で今自分達が出てきた路地を見る。まだバーナビーはあそこにいるのだろうか。さすがに引き止めも追い掛けもされなかったが、それでも路地を出るまでの間中、痛いくらいに非難の視線を背中に浴びせてくれた。
(……放っておいてくれりゃいいのに、お前こそどういうつもりなんだよ)
恐らく、明日オフィスでまた問い詰められるのだろう。それを思うと憂鬱で、また一つ溜息が零れた。
Back