何度も自問する。何が正解だったのか。どこで間違えたのか。
後悔なんて、終わってからしか出来ないと知っているのに。
人気のない通りに面し、周囲に人家はない。何年か前、市が区画整理を行うために住人達は全員立ち退かされたのだ。しかし、その計画も作業中の事故が原因で頓挫したきりだった。このアパートも、一部解体を行われた形跡があるが、それでも少人数の集団が潜むには十分に見える。
朝からずっと曇天だった空は、ジャスティスビルから移動している間にとうとう雨を降らせ始めた。ヒーロースーツの内側に雨水が入り込んでくることはないし、ぼやける様な視界もカメラを通してしまえば鮮明化されて映るので出動に何の支障もない。それでも纏わりつくような湿った空気が不快で、バーナビーは軽く地面を蹴る。それを見咎めた虎徹がフェイスマスク越しの視線を向けてきた。
だが、虎徹は何も言葉を発することはなく、再び視線をアパートへと向けた。その隣に並んで立ちながらバーナビーもセンサーや集音マイクを建物へと向ける。雨の所為で分かりにくいが、雨音に混じって微かに届く物音が、此処にいる人間の存在を伝えてくる。
「犯人たちの人数は不明。また爆弾を所持している可能性が高いわ。中途半端な解体の所為で、建物の強度も低くなってる。爆発を起こさせると危険よ。……だから――――」
ヒーロー全員に回線を通じてアニエスの声が響く。いつも澱みなく情報を伝え、作戦を指揮する彼女にしては珍しく、言葉を詰まらせた。
彼女が言いたいこと、それを躊躇っている理由を何となく察したバーナビーは、自ら口を開く。
「それなら、僕とタイガーさんが適任でしょう。他の皆さんに建物の出口を固めてもらって、僕たちが爆弾を確保。その後皆さんに突入してもらうのが最適です」
「……」
記憶を失う原因となった前の事件と同じ作戦を提案するバーナビーに、アニエスが僅かに逡巡する気配がする。恐らく他のヒーロー達も似たような反応をしているのだろう。
しかし、似た状況で取るべき作戦は似たり寄ったりになるのは当然だ。アニエスもそれを理解し、提案しようとしていた筈だ。でもバーナビーの現状を考えれば躊躇わない訳にはいかなかったのだろう。
だが、それを理由に事件現場から遠ざけられるのは、バーナビーは御免だった。それはポイントを稼ぎにくくなり、スポンサーロゴをアピールすることも出来なくなるということだ。それを受け入れる訳にはいけない。
「……分かったわ。それでいきましょう。タイガーもいけるわね」
溜息と共に下された判断に、虎徹が堅い声で是を返す。それを受けて、3分後に潜入する旨をバーナビーが伝えて回線を閉じると、途端に遠ざけられていた雨音に包まれた。
音を立てて一歩前に踏み出すと、虎徹の視線がアパートからバーナビーの横顔に移った。すぐに潜入作戦を行うというのに、その視線が何処か不安定な気がしてしまって、バーナビーは戸惑う。今のバーナビーの記憶にある限り、虎徹が現場でこんな雰囲気を纏っていたことなどない。この原因が出動直前の口論にあることは明白だった。
だからこそ迷って……それでも告げなければならないと思い、バーナビーは口を開いた。
「この件が片付いたら、話をしましょう。多分、僕たちはそうしなければいけないんです」
そのバーナビーの言葉に虎徹の空気が揺らぎ、―――次の瞬間にはいつもの虎徹になった。もっとも、その堅く張りつめたそれが本来の彼なのか、バーナビーには分からなかったが。
気配を出来る限り消して廊下を駆け、壁際に身を潜める。武骨なヒーロースーツでは、どれだけ気を付けたところで物音を完全に消すことなどできない。しかし、自分たちにとってもやっかいなこの雨は、敵からも自分たちの動きを掴みにくくしているようだった。バーナビーが窺う限り、テロリスト達がこちらの動きに気付いている様子はなかった。
とはいえ、相手の人数も装備も分からない以上油断は出来ない。爆弾を確保するまでは迅速な動きが求められる。3階まである建物のうち1階を探索し終わり、犯人の姿がないことを確認したところでバーナビーは口を開く。
「手分けしましょう。僕が2階、あなたが3階。犯人を見つけたら手を出さず、まず連絡を。合流した後に突入しましょう」
潜めた声で一息に言い切ってから、横目でちらりと虎徹の様子を窺うと、彼はかしゃんと音を立てて上げていたフェイスガードを下ろした。そのまま無言で階段へと歩き出す。その背を慌てて追おうとするが―――バーナビーの足は動かなかった。
バーナビーが虎徹を"忘れ"て以来、バーナビーに対する虎徹は感情の起伏に乏しかった。言葉少なで無表情。それが今のバーナビーの知る虎徹だ。彼の笑顔も不機嫌そうな表情も、他の人間に対するものしか知らない。
でも、今一瞬見えたフェイスガードに隠された表情は、今にも泣き出しそうだった。他の人間に向けているのも見たことがない、表情。
あんな辛そうな表情、今まで見たことがない。ない筈、なのに。バーナビーはきっと、その表情を浮かべる彼を知っている。恐らく、失ってしまった記憶の中の"虎徹"だ。いや、でも彼は、彼ならこの状況下であんな表情をしたりしない。あのときだって虎徹は、むしろ怒ってバーナビーに背を向けて……
「……?」
あのとき? それはいつだ? 霞がかった記憶に対して問うが、答えは見つからない。
鈍く痛む頭を軽く振って、バーナビーも階段へ向かう。此処でぼんやりしている時間はない。考える時間なら、事件が終わった後にいくらでもあるのだ。ヒーローとして優先すべき事項をないがしろにすることは、してはいけない。
そう決断して階段に足をかけたところで、センサーが音声を拾った。いや、センサーなどに頼らなくても届くこの声は虎徹と、聞き覚えのない男の声。―――まさか、犯人に見つかったのか。
血の気の引く思いで階段を駆け上がる。この状況では、今更物音なんて気にしたって仕方がない。一秒でも早く、虎徹のもとへ。それだけを思って足を動かす。
バーナビーの鍛えられた体は、息が上がることもなくものの数秒で目的地に辿り着いた。そこでバーナビーが目にしたのは、アパートの一室の窓際に立つ爆弾を体に巻きつけた男と、開いたドアの前でそれに対峙する虎徹の姿だった。男は錯乱状態にあるようで、起爆スイッチと思われるものを手に何かを叫んでいる。すでに言葉でなくうめき声を発しているだけの男の耳には、虎徹の説得は届かないらしい。それが唯一の武器であるかのように、スイッチを持っている手を虎徹へと向けたままだ。
これだけの騒ぎにも駆けつけてくる人間がいないということは、この建物には他に男の仲間はいないか、いたとしてもこの男を助ける気はなく逃げたということだ。ならば、自分たちはこの男の確保に専念すればいい。二人ともまだ能力は発動していない。男一人を拘束するくらい容易なはずだ。
そう判断したバーナビーが能力を発動するタイミングを窺おうとした瞬間、男ははっとしたようにバーナビーに視線を向けた。そこでようやく男はこの場にヒーローが二人揃っていたことに気付いたようだった。その事実に更に恐慌状態に陥った男は、差し出していた腕を胸元に引き込むと、―――そのスイッチを、押した。
……早かったのは、虎徹だった。
さすがベテランヒーローというべきか、スイッチが押されたその瞬間にハンドレッドパワーを発動させて男の身体にガムテープで固定されていた爆弾を剥がすと、そのままの勢いで男の身体を通路にいるバーナビーに投げ渡し、自分は。
奪った爆弾を抱え込むようにして、部屋の奥に転がり込んだ。
とっさに能力を発動させて男を庇ったバーナビーのもとに、虎徹の小さな呟きが届く。その直後、轟音と爆風が襲ってきた。同時に身体に、建物に大きな衝撃が伝わる。
あがった煙が落ち着くのを待って、視線を虎徹のいる部屋に向ける。そこには、部屋はもうなかった。窓側に転がった所為か、窓は枠ごと吹き飛ばされて、そこから雨に濡れる街並みが見えている。そして、爆風の所為か老朽化した建物が耐えられなかったのか、床部分に大きな穴が開き、部屋にあった家具ごと瓦礫となって1階まで崩れ落ちていた。当然、虎徹の姿はない。彼は、恐らく―――あの、下、に。
(ごめんな、バニー)
爆弾を抱えた彼が残した、呟きが耳に蘇る。優しい、温かな声が、耳に。
塞き止められていたものが、決壊して溢れだした。
「――――っ虎徹さん……虎徹さん……っ!!」
繰り返し、その名を呼ぶ。これほどに唇に馴染んでいた名を、何度も。
しかし、バーナビーの慟哭にも似た叫びに答えてくれる声は、なかった。
後悔なんて、終わってからしか出来ないと知っているのに。
03 ・ 繰り返された、それ
ほぼ同時に現場に辿り着いたヒーロー達を迎えたのは、煙るような霧雨に濡れる、古びたアパートだった。人気のない通りに面し、周囲に人家はない。何年か前、市が区画整理を行うために住人達は全員立ち退かされたのだ。しかし、その計画も作業中の事故が原因で頓挫したきりだった。このアパートも、一部解体を行われた形跡があるが、それでも少人数の集団が潜むには十分に見える。
朝からずっと曇天だった空は、ジャスティスビルから移動している間にとうとう雨を降らせ始めた。ヒーロースーツの内側に雨水が入り込んでくることはないし、ぼやける様な視界もカメラを通してしまえば鮮明化されて映るので出動に何の支障もない。それでも纏わりつくような湿った空気が不快で、バーナビーは軽く地面を蹴る。それを見咎めた虎徹がフェイスマスク越しの視線を向けてきた。
だが、虎徹は何も言葉を発することはなく、再び視線をアパートへと向けた。その隣に並んで立ちながらバーナビーもセンサーや集音マイクを建物へと向ける。雨の所為で分かりにくいが、雨音に混じって微かに届く物音が、此処にいる人間の存在を伝えてくる。
「犯人たちの人数は不明。また爆弾を所持している可能性が高いわ。中途半端な解体の所為で、建物の強度も低くなってる。爆発を起こさせると危険よ。……だから――――」
ヒーロー全員に回線を通じてアニエスの声が響く。いつも澱みなく情報を伝え、作戦を指揮する彼女にしては珍しく、言葉を詰まらせた。
彼女が言いたいこと、それを躊躇っている理由を何となく察したバーナビーは、自ら口を開く。
「それなら、僕とタイガーさんが適任でしょう。他の皆さんに建物の出口を固めてもらって、僕たちが爆弾を確保。その後皆さんに突入してもらうのが最適です」
「……」
記憶を失う原因となった前の事件と同じ作戦を提案するバーナビーに、アニエスが僅かに逡巡する気配がする。恐らく他のヒーロー達も似たような反応をしているのだろう。
しかし、似た状況で取るべき作戦は似たり寄ったりになるのは当然だ。アニエスもそれを理解し、提案しようとしていた筈だ。でもバーナビーの現状を考えれば躊躇わない訳にはいかなかったのだろう。
だが、それを理由に事件現場から遠ざけられるのは、バーナビーは御免だった。それはポイントを稼ぎにくくなり、スポンサーロゴをアピールすることも出来なくなるということだ。それを受け入れる訳にはいけない。
「……分かったわ。それでいきましょう。タイガーもいけるわね」
溜息と共に下された判断に、虎徹が堅い声で是を返す。それを受けて、3分後に潜入する旨をバーナビーが伝えて回線を閉じると、途端に遠ざけられていた雨音に包まれた。
音を立てて一歩前に踏み出すと、虎徹の視線がアパートからバーナビーの横顔に移った。すぐに潜入作戦を行うというのに、その視線が何処か不安定な気がしてしまって、バーナビーは戸惑う。今のバーナビーの記憶にある限り、虎徹が現場でこんな雰囲気を纏っていたことなどない。この原因が出動直前の口論にあることは明白だった。
だからこそ迷って……それでも告げなければならないと思い、バーナビーは口を開いた。
「この件が片付いたら、話をしましょう。多分、僕たちはそうしなければいけないんです」
そのバーナビーの言葉に虎徹の空気が揺らぎ、―――次の瞬間にはいつもの虎徹になった。もっとも、その堅く張りつめたそれが本来の彼なのか、バーナビーには分からなかったが。
気配を出来る限り消して廊下を駆け、壁際に身を潜める。武骨なヒーロースーツでは、どれだけ気を付けたところで物音を完全に消すことなどできない。しかし、自分たちにとってもやっかいなこの雨は、敵からも自分たちの動きを掴みにくくしているようだった。バーナビーが窺う限り、テロリスト達がこちらの動きに気付いている様子はなかった。
とはいえ、相手の人数も装備も分からない以上油断は出来ない。爆弾を確保するまでは迅速な動きが求められる。3階まである建物のうち1階を探索し終わり、犯人の姿がないことを確認したところでバーナビーは口を開く。
「手分けしましょう。僕が2階、あなたが3階。犯人を見つけたら手を出さず、まず連絡を。合流した後に突入しましょう」
潜めた声で一息に言い切ってから、横目でちらりと虎徹の様子を窺うと、彼はかしゃんと音を立てて上げていたフェイスガードを下ろした。そのまま無言で階段へと歩き出す。その背を慌てて追おうとするが―――バーナビーの足は動かなかった。
バーナビーが虎徹を"忘れ"て以来、バーナビーに対する虎徹は感情の起伏に乏しかった。言葉少なで無表情。それが今のバーナビーの知る虎徹だ。彼の笑顔も不機嫌そうな表情も、他の人間に対するものしか知らない。
でも、今一瞬見えたフェイスガードに隠された表情は、今にも泣き出しそうだった。他の人間に向けているのも見たことがない、表情。
あんな辛そうな表情、今まで見たことがない。ない筈、なのに。バーナビーはきっと、その表情を浮かべる彼を知っている。恐らく、失ってしまった記憶の中の"虎徹"だ。いや、でも彼は、彼ならこの状況下であんな表情をしたりしない。あのときだって虎徹は、むしろ怒ってバーナビーに背を向けて……
「……?」
あのとき? それはいつだ? 霞がかった記憶に対して問うが、答えは見つからない。
鈍く痛む頭を軽く振って、バーナビーも階段へ向かう。此処でぼんやりしている時間はない。考える時間なら、事件が終わった後にいくらでもあるのだ。ヒーローとして優先すべき事項をないがしろにすることは、してはいけない。
そう決断して階段に足をかけたところで、センサーが音声を拾った。いや、センサーなどに頼らなくても届くこの声は虎徹と、聞き覚えのない男の声。―――まさか、犯人に見つかったのか。
血の気の引く思いで階段を駆け上がる。この状況では、今更物音なんて気にしたって仕方がない。一秒でも早く、虎徹のもとへ。それだけを思って足を動かす。
バーナビーの鍛えられた体は、息が上がることもなくものの数秒で目的地に辿り着いた。そこでバーナビーが目にしたのは、アパートの一室の窓際に立つ爆弾を体に巻きつけた男と、開いたドアの前でそれに対峙する虎徹の姿だった。男は錯乱状態にあるようで、起爆スイッチと思われるものを手に何かを叫んでいる。すでに言葉でなくうめき声を発しているだけの男の耳には、虎徹の説得は届かないらしい。それが唯一の武器であるかのように、スイッチを持っている手を虎徹へと向けたままだ。
これだけの騒ぎにも駆けつけてくる人間がいないということは、この建物には他に男の仲間はいないか、いたとしてもこの男を助ける気はなく逃げたということだ。ならば、自分たちはこの男の確保に専念すればいい。二人ともまだ能力は発動していない。男一人を拘束するくらい容易なはずだ。
そう判断したバーナビーが能力を発動するタイミングを窺おうとした瞬間、男ははっとしたようにバーナビーに視線を向けた。そこでようやく男はこの場にヒーローが二人揃っていたことに気付いたようだった。その事実に更に恐慌状態に陥った男は、差し出していた腕を胸元に引き込むと、―――そのスイッチを、押した。
……早かったのは、虎徹だった。
さすがベテランヒーローというべきか、スイッチが押されたその瞬間にハンドレッドパワーを発動させて男の身体にガムテープで固定されていた爆弾を剥がすと、そのままの勢いで男の身体を通路にいるバーナビーに投げ渡し、自分は。
奪った爆弾を抱え込むようにして、部屋の奥に転がり込んだ。
とっさに能力を発動させて男を庇ったバーナビーのもとに、虎徹の小さな呟きが届く。その直後、轟音と爆風が襲ってきた。同時に身体に、建物に大きな衝撃が伝わる。
あがった煙が落ち着くのを待って、視線を虎徹のいる部屋に向ける。そこには、部屋はもうなかった。窓側に転がった所為か、窓は枠ごと吹き飛ばされて、そこから雨に濡れる街並みが見えている。そして、爆風の所為か老朽化した建物が耐えられなかったのか、床部分に大きな穴が開き、部屋にあった家具ごと瓦礫となって1階まで崩れ落ちていた。当然、虎徹の姿はない。彼は、恐らく―――あの、下、に。
(ごめんな、バニー)
爆弾を抱えた彼が残した、呟きが耳に蘇る。優しい、温かな声が、耳に。
塞き止められていたものが、決壊して溢れだした。
「――――っ虎徹さん……虎徹さん……っ!!」
繰り返し、その名を呼ぶ。これほどに唇に馴染んでいた名を、何度も。
しかし、バーナビーの慟哭にも似た叫びに答えてくれる声は、なかった。
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