逃れられないことは分かっていた。多分、最初から。
 足が竦んで動けなかっただけで、逃げる気なんてとうに奪われていたんだ。
震えの行きつく先
 不意に世界が揺れて、思わず目を閉じる。自分の頭は、アルコールで相当鈍っているらしい。背中が柔らかく沈み込む感覚にも、さすがバニーちゃん、良いベッドだなぁなんて暢気な感想を抱いた。
 そのベッドの持ち主に押し倒されたのだと認識出来たのは、ゆっくりと開いた視界に真剣な翡翠の瞳を捉えてからだった。

「……虎徹、さん」

 聞いたことのない、熱っぽい声で名を呼ばれて背筋が震えた。同時にそれが嫌悪感から来るものでないことも分かってしまって動揺する。
 どうしたっていうんだ、俺も、こいつも。なんでこんなことになっているんだ。さっきまで普通だったじゃないか。ただ酒を一緒に呑んでいただけじゃないか。なのに、なんで。
 混乱の最中にいるこっちに気付いているのかいないのか、俺に覆い被さってくる相棒は、縋るようにその手を頬に伸ばしてくる。その長い指が震えているのを見てしまえば、拒むことなど出来ない。少し身体を強張らせながらも受け入れると、バーナビーは小さく安堵の息を漏らした。

「虎徹さん……」

 今度は耳元で囁くように呼ばれる。また身体が勝手にふるりと震えてしまう。なんだ、なんなんだよ、本当に。
 いや、何が起こっているのかとか、こいつが何をしようとしているのかが分からないような歳じゃない。ただ、それを簡単に認められるかとは別問題、って話だ。
 どうにか思い止まってくれはしないだろうかと淡い期待を抱きながら、へらりとした笑みを向ける。多少引き攣っていたとしても大目にみてもらいたい。しょうがないだろ、状況が状況だ。

「……えっと、あの、な、バニーちゃん。知ってると思うけど、おじさん男で、お前さんよりかなり年上なんだけど」

 そう告げると、眉間に皺を寄せて渋面を作る。そうだよな、そんなこと今更確認されたくないよな。馬鹿にしてるのかって思うよな。でも、それくらいで引き下がれる気持ちなら、なかったことにしてしまった方がお互いの為ってもんだ。
 歳をとるとそんな計算ばかりが上手くなってしまって困る。でも、そう簡単に傷付くと分かっている関係に飛びこめるほどもう若くはないんだ。

「……それが、どうかしましたか。何か問題でも?」

 ぐ、と顔を近付けられる。反射的に目を閉じそうになって思い止まる。きっと、それをしたら受け入れるしかなくなってしまう。まだそんな真似は出来ない。

「……あー………可愛い娘も、いたりするんだけ、ど……」
「楓さん、でしたか。ええ、知ってますよ。ちゃんと彼女のことも考えています」

 すでに立ち直り気味のバーナビーは、間髪入れずに答えてくる。さっきまでしかめっ面だった端正な顔も、今やイイ笑顔だ。どうやら俺の反応が満更でもないことに気付いてしまったらしい。自分の優勢を悟って、最初の必死さは鳴りを潜めてしまったようだ。
 その余裕にむっとしながらも、その笑顔が取材の時に見せる営業用のそれでないことに安堵している自分がいることは、気付いている。認めたくはないが。

「虎徹さんの大事な人は、僕にとっても大事です。ちゃんと結婚する日まで責任を持って大切にしますよ」

 その発言に思わず、楓は嫁になんかやらん!と状況を忘れて反論すれば、呆れたような溜息が降ってくる。じゃあちゃんと一生幸せにします、と、もはや誰に対するプロポーズなんだか分からない言葉のおまけつきで。

「………さて、これで問題は全て解決しましたね」
「あ、いや、その」
「虎徹さん」

 遮るように名前を呼ばれて固まる。と同時に、顔の横に投げ出していた手を、力を込めて握りしめられた。その痛みで、続けようとしていた意味のない言葉達は呆気なく霧散する。

「あなたのどんな不安も、受け止めてみせます。だから、……逃げないで下さい」

 ……なに、言ってんだよ。よっぽど自分の方が不安そうな目しておきながらさ。この痛いくらい握り締められてる手だって、本当は震えを隠してるだけの癖に。
 ああもう、本当に、こいつは。

 掴まれていない方の手を伸ばして、その柔らかい髪に触れる。あやす様に髪に指を絡ませれば、また今度は泣きそうな表情になった。最初の頃からは考えられないくらい、表情豊かになった相棒。それを引き出したのは、俺。それなら、もう、いい。俺の負けで構わない。
 これは酒の勢いかもしれないけど、アルコールが全部抜けた後だってこの想いは何も変わらない。俺が躊躇う理由、踏みとどまらせようと引き止めるものたちなんて、きっと大したものじゃない。

 ぐ、と力を込めてその頭を引き寄せる。ようやく重なった唇は、互いに震えていた。





前半書いてから後半書くまでに間が空いてしまった所為か、また微妙な感じに……。
既に何番煎じどころじゃないお約束ネタ。おじさんの包容力は半端ないと思う。