俺があの人につけた傷。そんなものは痕跡すら残さず、綺麗に消え去ればいい。
 俺という存在を、あの人が忘れてしまうくらい綺麗に。
傷痕
 薄闇に沈む屋内で、僅かな明かりを助けに薬箱を取り出す。忍の秘伝を用いて作られたそれらは、一般の薬売りが扱うものとは比較にならぬほど早く傷を癒すことが出来る。
 佐助は一番深い左腕の刀傷にそれを塗り込み、片手で器用に包帯を巻きつけていく。手慣れたその行為に、澱みはない。
 そのことに苦笑しながら、他の細かい傷にも塗ろうと薬を再び手にした。

 大きな戦ではなかった。伊達軍と武田軍の衝突とはいえ、雌雄を決しようとするものではなく、小競り合い程度。
 だが、敵軍の総大将である伊達政宗と刃を交えた佐助は、深手とは言わないまでもそれなりの怪我を負った。
 それは佐助だけでなく、政宗も同様だ。佐助とて真田忍軍の頭を務めるほどの実力者である。命に関わることはなくとも、あの怖い部下に説教される傷を負っただろう。


「……いやいや、何考えてんの」


 知らず政宗のことに思考が及んでいたことに気付き、呟くことでそれを遮断する。
 敵武将の怪我の心配なんて、忍としてするべきじゃない。寝首を掻く算段でもするのがあるべき姿の筈だ。"筈"だなんて考えている時点でもはや忍失格、それが当然だと思えるようになっていたのに。
 以前なら当たり前のように出来ていた思考や行動。それがあの人に対しては、もう出来ない。"今"はもう敵なのだから、殺す対象なのだから、忍としてしなければならないのに。

 例え、それがかつて熱や想いを交わし合った相手だとしても。


 今は布の上に置かれ、明かりの火を反射している大型手裏剣。佐助愛用の武器であるそれは、すでに戦の後の手入れも済まされている。
 だというのに、その光沢の裏に政宗の血の赤が残っているような気がしてしまう自分の女々しさを、佐助は自嘲する。

 最初から、いつかはこうなるなんてことは分かっていて。戦が始まるときには、やっぱりね、なんて呟いて。何でもない振りして、いつものように飄々と笑いながらあの人に刃を向けて。
その身体に傷を刻んだ。
 それを後悔などしていない。刃を向けたのが間違いだなんて思っちゃいない。でも。

 獲物を手にして対峙した瞬間。
 その瞬間に見せた表情が、脳裏から離れないのだ。


 何処かでまだ、殺したくない、殺せないと思っている己を嗤う。
 自分はもう選んでしまったのだ。唯一無二の、自分の全てを捧げる相手として、政宗ではなく、主を。佐助を人に戻した人であり、もしもこの人が死んでしまったならば自分も生きてはいれないと思う人。
 政宗にはそんなことは思わない。きっとあの人が死んだとしても、……この手にかけたとしても、自分はきっと生きていけるだろう。だからこそ、この道を選んだのだ。政宗と敵対してでも、主を守る道を。


 量が少ない薬を確認し、用の済んだ薬箱を元通りの場所に戻そうと動かした左腕に痛みを感じて、思わず顔を顰める。これは跡が残るかもしれない。
 でも、それでいい。消えなくていい。その跡は、証だ。あの人を裏切り、傷付けた罪の証。
 だから、自分にはいつまでも痕が残れば良いのだ。あの人の傷跡がなくなってしまった後も、ずっと。

 極力左手に負担をかけぬように薬箱を戻した後、いくつか足さねばならない薬を頼みに行こうと、部屋の明かりを吹き消して障子を開く。
 いつの間にか日は完全に沈み、空は濃紺に染まっている。その空には細い三日月。

 その白い光を身体に受けながら。
 それでも、あの人が死んでしまったときには、自分の中の何かが終ってしまうのかもしれない。
 そんな戯言じみたことをぼんやりと思った。





佐政であっても幸村を捨てられない佐助。
最終的に二人称なのか三人称なのか中途半端・・・・・。