置いていかないで。

『行く』のも『逝く』のも。
共にいたい、と思った。
03 ・ 届かないと知りながら
 周りの気配を窺って。
 追いかけてくる足音も、他者の気配も無いことに安堵して、足を止める。

「………どうやら、撒けたようだな」
「あぁ……」

 休息を挟むことを許されず、限界まで酷使された体が悲鳴を上げている。体中がだるくて、そう返事をするので精一杯だった。
 目指す部隊までは、半日もあれば辿り着けるはずだった。敵部隊が分布していない方面を選んで移動していたはずが、戦局が動いたのか、多数の追っ手がかかり。その追っ手の相手をし、撒いて、逃げて。その内に、今いる山の中に追い込まれた。

「……かなり時間をくってしまったようだな」

 大佐の言葉に空を見上げる。とっくに陽は暮れ、月が中天近くに差し掛かっている。月の傾き具合から考えても、もう真夜中近いだろう。
 大佐と合流したとき、まだ太陽はそこまで高く昇っていなかったことを思えば、もう部隊に合流できているはずの時間だ。そして、逆にそれだけの時間交戦してきて、まだ合流の目処が立っていない。これは、かなり危険な状況だ。
 もともと満身創痍だった二人だ。まともに戦っていないとはいえ、疲労の色は隠せない。もう、限界を迎えようとしているのは明らかだった。

「だからこそ、ここに私たちを追い込んだということか」

 ここは敵のテリトリー内。この山の地理も、相手は熟知していると考えるべきだろう。そんな中に、国家錬金術師とはいえ限界ギリギリの自分たち。加えて、月明かりしかなく、下手に動くことも出来ない状況。
 敵にしてみれば、後はじっくりいたぶって始末するだけ。

「非常に拙い状況だな……」
「どう、する……」

 お互いに黙る。有効的な打つ手などない。二人ともそのことが分かっているから、黙るしかない。自分たちが生き延びるために出来ることは、今もこちらに向かっているだろう追っ手が、朝まで自分たちを見つけないでいることを祈るだけだ。
 例えそれが叶ったとしても、無事に生還できる保証にはならないが。

「このまま、ここにこうしていても仕方がない。何処か、身を隠せる場所を探そう」

 そう言われて、項垂れていた身体を起こし、軋みを上げる全身に鞭打って足を踏み出す。本当は、もう歩くことでさえ辛いが、ここでへばっていては殺して下さいと言っているようなものだ。
 大佐がこちらを見て痛そうな表情をしたが、何も言わずにそのまま背を向けて歩き出す。今、気遣う言葉なんて投げかけられたら、諦めてしまいそうだった。生きることを、諦めてしまいそうだったから。だから、正直何も言わないでいてくれて助かった。

 体力を無駄にしないよう呼吸を落ち着け、大佐の後を追おうとしたら。

「 ――――――- !?」

 何故か大佐が呆然と立っている。
 慌ててその背中に走りよると、そこには、見事な、一本の山櫻が咲き誇っていた。

「何で……こんなところに…」

 大佐の隣に並んで呆然と呟く。
 山なのだから自生していても何の不思議もないのだが、その樹を囲むようにぽっかりと空き地が出来ているのだ。増して、この戦火の地でひっそり咲いている、というのは酷くそぐわないように感じた。

「 ――――――― もう、」
「え?」
「 ――――――― もう、春なんだな」

 大佐の何処か遠くを見つめている目に、一人置いていかれたような気持ちになって、その腕を掴む。
 この戦争が始まったのは、まだ夏になったばかりの頃だったと思う。ここに自分たちが派遣されたのは、開始からずいぶん後で、終盤に差し掛かった頃だ。それでも、それがもう何か月になるのか。それだけの期間に渡って、争い続けているのだ。


「……もうすぐ、終わるさ」


 しがみつくように握っていた手の上に、そっと大佐の手が重ねられる。かけられた言葉が現実からあまりに遠過ぎて、素直に頷くことも出来なくて、ただ俯く。
 もう嫌だ、と。もう帰りたい、と。駄々をこねて、泣いてしまいたかった。全てが目覚めれば終わりになる夢だったら良かったのに、と。そう、願った。
 そんなことあり得ないと分かっているけれど。どうしたって変わらない現実なのだと分かっている。だからこそ、今自分たちはやるべきことをやらねばならない。生き延びるために。

 知らず滲んでいた涙を軍服の袖でそっと拭う。砂っぽいが、構わなかった。どうにか笑って顔を上げる。これ以上の心配をかける訳にはいかない。
 今度は自分が先に立って歩こうと足を踏み出そうとして ――――― 不意に気付く。囲まれている。かなりの、大人数に。
 ここまで近付かれていたのに、気付けなかった自分に舌打ちをする。感傷的になっている場合じゃない。どうにかして、この場を切り抜けなければならない。

「鋼の」

 小声で大佐が囁く。
 目線は周囲に配ったまま、無言で応えて続きを促す。

「出来ればしたくない賭けだったのだが……こうなっては仕方ない」
「……なに……何か手でもあんのか」

 声が、緊張で少し震えた。
 そんなオレに気を使ったのか、大佐はまるで悪戯の計画でも話すような気軽さで答える。

「派手に大暴れをして、何処かの味方部隊が気付くことに期待しよう」

 その言葉の意味するところを反芻して。
 はじき出された結論に、状況も忘れて思わず半眼になる。

「なぁ……それって、他の敵にもオレ達の居場所知らせることになるよなぁ…?」
「だから『出来ればしたくなかった』と言っただろう。……しかし、他に手はなく、黙って殺されてやる気もない」

 ふっと短く息を吐く。

「少々分が悪いが……賭けにならぬほどではないさ」