とても、とても、大切だから。だから。
喪わないために、この手を離す。
大佐の執務机の前に立って、オレは出来るだけ事務的に告げる。感情を、見せないように。
ずっと、ずっと求めてきた『賢者の石』。長い旅の末、それに最も近いと思われるものを手に入れることが出来た。効果の程は既に実験して、確かなものだと確証を得ている。
それでも、この物質が、禁忌とされる人体練成に耐えてくれるかどうか分からない。理論以上の練成を行えるといっても、これから行おうとしているのは人体練成。かつて、アルの身体の全てと、オレの左足をもってしても叶わなかった練 成。
ましてや、今回の術師はオレ一人。『賢者の石』を使ったとしても、術師であるオレに要求される代価はどれほどのものなのか。分からない。それでも。
「これで、やっとアルを元に戻してやれる。あいつを…罪から解放できる」
そう。やっと、アルを救えるんだ。
あの優しい弟が、やっと、人として持ち得る全てを取り戻せるんだ。幸せに、なれるんだ。
「……君は?」
ぽつりと響いた大佐の呟き。もしここに他の音があったなら、決して届かなかった言葉。でも、それを放った大佐の顔は、間違いなくオレがそれを聞いていると確信していて。……酷く、真剣な表情で。
オレが、解放されるか、なんて。そんなの。
――――― 分かってるくせに。
アルが解放されて、幸せになって。オレはそれで充分なんだ。それさえ叶うなら、他に何もいらない。そう、何も。
……贖いの時間すらも。
「オレは良いんだよ、アルが幸せなら」
オレの言葉に、大佐は軽く息をついて、困ったような微笑みをオレに向けた。
微笑って、いるのに。何故か、大佐の眼が淋しそうに見えるなんて。
――――― まだ、駄目だ。
まだ、この感情が、大佐のその眼が意味しているところに気付く訳にはいけない。
まだ、気付かない振りをしないと駄目なんだ。
「ははっ、まぁ成功を祈っててくれよ」
そう、気付かなかったように微笑う。微笑ったつもりだけど。
微笑えて、いただろうか。
あんたは、いつもこうやって、アルのことばかりで自分を省みないオレを気にかけていたけれど。
オレは、もう充分だったんだよ。充分幸せだったんだ。あんたが、救ってくれたから。もうそれだけで、泣きたくなるくらい、幸せだったから。だから、もう良いんだ。オレはもう幸せだから、今度はアルを幸せにしてやらなくちゃ。
「……そうだね、祈るしか…ないからな」
また大佐が微笑う。やっぱり眼は淋しそうに見えて、その笑顔もどこか自嘲めいたものだったけれど。
それでも、ここの空気は穏やかで。最後まで、大佐の空気は穏やかで。……秘めたままの互いの気持ちを、嫌でも自覚させる。
まだ、告げてはならない想い。まだ、告げられてはならない想い。
広がった沈黙を打ち消すように、でも繋ぎとめるように、ゆっくりとした動作で銀時計を取り出す。国家錬金術師の証の銀時計。再び歩き出すことを決めた証。あの日、背を押してくれたあんたから渡された、オレの誓いのもの。
長旅であちこち傷付いてはいたが、あの日と変わらない光沢を放つそれを、大佐の前に掲げる。眼で、精一杯の想いを告げながら。
これは、形見とか、そんなのじゃない。
この旅の間、ずっとオレが共にいたものだから。だから、これは目印なんだ。明日、オレに何が起きても。死んでしまっても。消えてしまっても。ちゃんと、ここにオレが帰ってこれるように。あんたの許に、帰ってこれるように。
大佐はオレのことを真剣な表情で見つめて。そして。
銀時計を受け取った。
「……ありがと」
他にどう言ったら良いのか分からなくて、ただそれだけを告げる。今までの感謝と、受け取ってくれた嬉しさと、……想いを告げられない謝罪を、その一言にこめる。
これ以上いると、言ってはいけないことまで言ってしまいそうだから、もう一度微笑って。
「じゃあ……アルも待ってるし、もう行くな」
気が付けばもう日が落ちていて。
夕陽が差し込んできて、大佐の表情は分からなくて。声もいつもの良く通る声だったけれど。
「取り戻してくるといい。君たちが望むものを」
きっと、今、大佐は、情けないくらい、泣きそうな表情なんだろうな。
見えないけど、見えなくても、きっと。不思議なほどの確信がある自分が、なんだか嬉しくて堪らない。
大佐の言葉に笑顔で答えて。執務室から出て、ドアを閉める瞬間。
「……さよなら」
小さく呟いて。そのままドアを閉ざす。
カチャ、とドアが閉まる音で、オレの中で張り詰めていたものが切れてしまって。ずるずると、ドアに身体を預けたまましゃがみこむ。
好きだったよ。あんたの作る空気が。
好きだったよ。その優しい体温が。
好きだったよ。何気なく流れるこの時間が。
何より、好きだったよ。
ずっと、言えなくて。とうとう口に出すことはなかったけれど。本当に、好きだったんだ。
大切すぎて、喪いたくなかったから。いつかくるこの日のために、壊されてしまうなんて嫌だったから。だから、あんたは渡そうとしてくれたけど、オレは、喪わないために、それを手放した。
本当にごめん。大好きだったよ。
ゆっくりと立ち上がって。軽くなった腰に、一度も想いを告げなかった人の手にあるだろう銀時計を思い出して。
そして歩き出す。全てを取り戻すために。
ずっと待たせてしまった人に、想いを、告げるために。
喪わないために、この手を離す。
喪失の明日 E.ver.
「 ――――― 明日……やるよ」大佐の執務机の前に立って、オレは出来るだけ事務的に告げる。感情を、見せないように。
ずっと、ずっと求めてきた『賢者の石』。長い旅の末、それに最も近いと思われるものを手に入れることが出来た。効果の程は既に実験して、確かなものだと確証を得ている。
それでも、この物質が、禁忌とされる人体練成に耐えてくれるかどうか分からない。理論以上の練成を行えるといっても、これから行おうとしているのは人体練成。かつて、アルの身体の全てと、オレの左足をもってしても叶わなかった練 成。
ましてや、今回の術師はオレ一人。『賢者の石』を使ったとしても、術師であるオレに要求される代価はどれほどのものなのか。分からない。それでも。
「これで、やっとアルを元に戻してやれる。あいつを…罪から解放できる」
そう。やっと、アルを救えるんだ。
あの優しい弟が、やっと、人として持ち得る全てを取り戻せるんだ。幸せに、なれるんだ。
「……君は?」
ぽつりと響いた大佐の呟き。もしここに他の音があったなら、決して届かなかった言葉。でも、それを放った大佐の顔は、間違いなくオレがそれを聞いていると確信していて。……酷く、真剣な表情で。
オレが、解放されるか、なんて。そんなの。
――――― 分かってるくせに。
アルが解放されて、幸せになって。オレはそれで充分なんだ。それさえ叶うなら、他に何もいらない。そう、何も。
……贖いの時間すらも。
「オレは良いんだよ、アルが幸せなら」
オレの言葉に、大佐は軽く息をついて、困ったような微笑みをオレに向けた。
微笑って、いるのに。何故か、大佐の眼が淋しそうに見えるなんて。
――――― まだ、駄目だ。
まだ、この感情が、大佐のその眼が意味しているところに気付く訳にはいけない。
まだ、気付かない振りをしないと駄目なんだ。
「ははっ、まぁ成功を祈っててくれよ」
そう、気付かなかったように微笑う。微笑ったつもりだけど。
微笑えて、いただろうか。
あんたは、いつもこうやって、アルのことばかりで自分を省みないオレを気にかけていたけれど。
オレは、もう充分だったんだよ。充分幸せだったんだ。あんたが、救ってくれたから。もうそれだけで、泣きたくなるくらい、幸せだったから。だから、もう良いんだ。オレはもう幸せだから、今度はアルを幸せにしてやらなくちゃ。
「……そうだね、祈るしか…ないからな」
また大佐が微笑う。やっぱり眼は淋しそうに見えて、その笑顔もどこか自嘲めいたものだったけれど。
それでも、ここの空気は穏やかで。最後まで、大佐の空気は穏やかで。……秘めたままの互いの気持ちを、嫌でも自覚させる。
まだ、告げてはならない想い。まだ、告げられてはならない想い。
広がった沈黙を打ち消すように、でも繋ぎとめるように、ゆっくりとした動作で銀時計を取り出す。国家錬金術師の証の銀時計。再び歩き出すことを決めた証。あの日、背を押してくれたあんたから渡された、オレの誓いのもの。
長旅であちこち傷付いてはいたが、あの日と変わらない光沢を放つそれを、大佐の前に掲げる。眼で、精一杯の想いを告げながら。
これは、形見とか、そんなのじゃない。
この旅の間、ずっとオレが共にいたものだから。だから、これは目印なんだ。明日、オレに何が起きても。死んでしまっても。消えてしまっても。ちゃんと、ここにオレが帰ってこれるように。あんたの許に、帰ってこれるように。
大佐はオレのことを真剣な表情で見つめて。そして。
銀時計を受け取った。
「……ありがと」
他にどう言ったら良いのか分からなくて、ただそれだけを告げる。今までの感謝と、受け取ってくれた嬉しさと、……想いを告げられない謝罪を、その一言にこめる。
これ以上いると、言ってはいけないことまで言ってしまいそうだから、もう一度微笑って。
「じゃあ……アルも待ってるし、もう行くな」
気が付けばもう日が落ちていて。
夕陽が差し込んできて、大佐の表情は分からなくて。声もいつもの良く通る声だったけれど。
「取り戻してくるといい。君たちが望むものを」
きっと、今、大佐は、情けないくらい、泣きそうな表情なんだろうな。
見えないけど、見えなくても、きっと。不思議なほどの確信がある自分が、なんだか嬉しくて堪らない。
大佐の言葉に笑顔で答えて。執務室から出て、ドアを閉める瞬間。
「……さよなら」
小さく呟いて。そのままドアを閉ざす。
カチャ、とドアが閉まる音で、オレの中で張り詰めていたものが切れてしまって。ずるずると、ドアに身体を預けたまましゃがみこむ。
好きだったよ。あんたの作る空気が。
好きだったよ。その優しい体温が。
好きだったよ。何気なく流れるこの時間が。
何より、好きだったよ。
ずっと、言えなくて。とうとう口に出すことはなかったけれど。本当に、好きだったんだ。
大切すぎて、喪いたくなかったから。いつかくるこの日のために、壊されてしまうなんて嫌だったから。だから、あんたは渡そうとしてくれたけど、オレは、喪わないために、それを手放した。
本当にごめん。大好きだったよ。
ゆっくりと立ち上がって。軽くなった腰に、一度も想いを告げなかった人の手にあるだろう銀時計を思い出して。
そして歩き出す。全てを取り戻すために。
ずっと待たせてしまった人に、想いを、告げるために。
微妙なネタでした。死にネタにするつもりはなかったし、ならなかったので警告付けませんでしたがどうでしょう。